昨年の春、桃李歌壇で歌仙を巻いているときに、 
    ある方が発句に「花」を詠まれて投稿されました。 
     
    「枝ふるふ花のすきまのそらの青」 という発句で、 
    下のリンクにその歌仙が掲載されています 
     
    そのときに連衆の間で、「発句に花が出てきたとき、連歌はどのように巻くのが良いか」ということが話題になりました。 
    いろいろな考え方が出てきましたが、二つだけ紹介しましょう。 
    意見A: 
    初折裏の花を「引き上げた」ものと考えればよい。発句で月を詠んだ場合と同じこと。 
    意見B: 
    月はかなり自由にひきあげたり、こぼしたりするが、花は、 
    定座をまもる方がよい。月は毎夜天空に出て、満ち欠けがあり 
    四季を通じて趣を変える「動」の印象を与えるが、花は春にのみ出逢われ、 
    大地に根ざす「静」の印象を与える。花が詠まれるべき定座に花がないのは寂しい. 
     
    意見Aに従えば、歌仙の二花三月は守られますが、定座の花を大幅に引き上げたために、あるべき場所に花がないという寂しさが残ります。 
    意見Bに従うと、せっかく「花」を詠んでくれた客人に礼を失する事になりますし、かといって、普通に巻くと三花三月の「花盛り」となります。 
     
    「ワイワイガヤガヤ」と掲示板でこんなお喋りをしておりますと、発句を投ぜられた方が、 
    「自分は連歌は初めてで、式目のことなど、何も知らない。今は春で 
    満開の桜が詠みたかったので詠んだだけだ。ひょっとして、発句に「花」を詠むのはルール違反だったのでは」と投稿してきました。 
     
    私が捌きをしていたのですが、先ほど掲示板のログを見ましたら、 
    「発句を投じられた客人が「花」を詠みたかったというのなら、連衆はそれに合わせて連歌を巻くのが礼儀で、余計な心配はご無用」という主旨の答えをしていました。 
      
    そこで、初折裏の「定座」は、競作にして、連衆の創意工夫にまかせることにしました。 
    (つまり、捌きは余計な指図はしないという楽な道を選んだ訳です) 
     
    その結果、発句に満開の花がでているので、「定座」では登代子さんの「人の花(花形スター)」を詠まれた句がとても面白かったので、それを定座の句として頂戴しました。 
     
    ところで、歌仙を巻き終えた後で、一体、我々の先達は、こんな場合にどういう風に連歌を巻いたのだろうかという興味がでてきました。 
     
    まず、室町時代の連歌では、心敬に花の発句があります。 
    (寛政七年二月四日、賦何人連歌) 
     
    発句  ころやとき花にあづまの種も哉     心敬 
    脇    春にまかする風の長閑さ       行助 
    第三  雲遅く行く月の夜は朧にて       選順 
     
    心敬の発句は、関東に下向する行助へ贈られたもので、「ころやとき」の 
    「とき」は「疾き」で、桜の花が咲くにはまだ早すぎるの意味。 
    「待つ花」を詠んだ句ですが、第三に春の月も出て、実に華麗な印象を与えます。 
     
    百韻の連歌では、月花の定座は、 
    それぞれの懐紙の表の最後から二番目に「月」、裏の最後から二番目に「花」 
    そして、裏の「花」の三句くらい前が「月」の出所と決められています。 
    (江戸時代に盛んになった三六韻の歌仙も、二折と三折を省略して、初折と名残の折を残しただけで、定座については百韻と同じ考えに従っています) 
     
    しかし、実際に巻かれたものを見ると、芸術的に優れた印象を与える連歌は 
    月花の「定座」に拘泥していないことが分かりました。 
     
    たとえば、連歌の式目を定めた良基は、冬の月を発句に詠んでいます。 
    (至徳2年(1385年)10月18日 賦何船連歌) 
     
    発句   月は山風ぞしぐれににほの海    良基 
    脇     さざ波さむき夜こそふけぬれ   石山座主房 
    第三   松一木あらぬ落葉に色かへで    周阿 
     
    この良基の発句は、心敬によって「比類なき」ものと絶賛された句です。 
    「にほの海」は「鳰の海」で琵琶湖の事。 
     
    いろいろと調べてみると、月花の「定座」というのは、厳密に守られるべき 
    規則というよりは、むしろ初心者向けの標準に過ぎないという気がしてきました。連歌を巻き始めた人が、無粋なことをしないように、一応の目安としておいたもののように見えます。 
     
    連歌は懐紙に記されますが、「定座」を各折の最後から二番目に置くというのは、後で眺めたときのバランスを考えてのことで、実際は、「定座」よりも、去嫌の規則の方が優先する例は非常に多いのです。 
    これは、俳諧も連歌も変わりありません。 
     
    俳諧七部集を調べてみると、「ひさご」には発句に「桜」を詠んだ例があります。 
     
    木のもとに汁も鱠も桜かな  翁 
     西日のどかによき天気なり 珍磧 
    旅人の虱かき行春暮れて   曲水 
     
    「桜」は連歌では正花ではないので、この歌仙は初折裏で、定座の「花」が 
    出てきます。 
    「汁も鱠も」とか「虱かき行」という表現が、俳諧的といわれる所以ですが、私などは、歌の「道は虱にもあり」 と荘子風に言ってみたくなります。 
     
    只、俳諧七部集で、芭蕉が参加している歌仙には、残念ながら 
    発句に「花」を詠んだ例は見つかりませんでした。 
    誰かに呼び出されたときは別にして、自分から「花」を詠むのは気がひけた 
    ということなのかもしれません。 
     
    芭蕉が加わっていない歌仙では、「炭俵」に三吟の嵐雪の発句がありました。 
     
    兼好も筵織りけり花さかり    嵐雪 
     薊や苣に雀鮓もる       利牛 
    片道は春の小阪のかたまりて   野坡  
     
    この発句は、従然草一三七段 
    「花は盛りの月は隈なきをのみ見るものかは」 
    を踏まえたもので、世をすねたへそ曲がりの兼好ですら 
    この見事な花さかりの情景を前にしたら、筵を織るだろうと洒落た句で 
    元禄の花見の情景を彷彿とさせます。雀鮓など酒の肴としていた 
    ことも分かり、なかなか味のある歌仙です。 
     
     
    発句の「花」 補足 
    
      俳諧七部集には入っていませんが、芭蕉に「花」を詠んだ発句が全くないわけではありません。客人として芭蕉が招かれた場合は、発句で「花」を詠んだ例があります。 
       
      たとえば、 
       
      種芋や花の盛りに売り歩く    芭蕉 
      こたつふさげば風かはるなり  半残 
       
      という句が、大阪の車庸が編んだ「己が光」に収録の四吟歌仙に出ています。この発句と脇の付合い、やや難解ですが、安東次男氏は、新風旗揚げの壮行会の席で詠まれたものと解して、「花の盛りに伊賀を出て膳所で新風を起こせば、実入りは仲秋(芋名月)、その種芋は伊賀から持参する」という挨拶の発句と解釈しています。 
        
      それから、「ひさご」の 
       
      木のもとに汁も鱠も桜かな  翁 
       
      の翁というのは芭蕉のことですが、この発句は、上で引用した「種芋や」の句と同じ頃に、伊賀上野の会で発句として一度披露されたものなのですが、連衆の付けが不満であったのか、元禄三年三月末の 珍磧 
      の立机興行(宗匠として独立するのを記念するもの)で巻かれた歌仙で、もう一度詠まれています。 
       
        芭蕉四七歳、猿蓑を編纂する少し前で、俳諧に新風を巻き起こす意図があったと思われます。三冊子に 
      「此句の時、師のいはく、花見の句のかかりを少し心得て軽みをしたり」とあります。 
     
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